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テラマイシン の市場導入。
この世界的な成功により、
ファイザー社は本格的な
医薬品メーカーに変身。
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1950年に発売されたテラマイシン
はファイザーブランドの付いた初めての製品
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ファイザー社は大掛かりな
土壌スクリーンを行い、
その結果、自社の研究者の
発見・開発による初めての医薬品
テラマイシン を見出した。
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ファイザーの誕生
抗生物質の時代をリード |
1949 |
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創設後100年にわたり、ファイザー社の製品はバルクで他社に売られ、そこでパッケージ化され、他社ブランドで市場に出ていました。しかし、1940年代後半の新抗生物質の発見を契機に、ファイザー社として独自のブランドを展開する時が訪れたことを感じていました。
ペニシリンの発見と生産は、医学の革新時代の幕明けとなりました。ファイザー社の科学者たちは治療に役立つ新しい微生物を発見するために集中的な探索を開始しました。バクテリアと闘う微生物は土壊中に発見されるという当時新たに注目を集めた説に基づいて、ファイザー社は世界各地の土壌収集と試験のプログラムに取り組みました。計135,000の土壌サンプルを収集し、2,000万件以上の試験を実施しました。研究者のひとりは「炭坑の奥や海底、砂漠、山の頂、ふもと、そして中腹からも採取しました」と語っています。
ファイザー社は遂に「掘り出し物」、つまり様々な種類の恐ろしいバクテリアに対して有効な物質を発見しました。これはファイザー社が単独で発見し開発した最初の製品として、その採取源である大地(ラテン語の「テラ」は大地の意)からテラマイシン と名付けられました。特許が認められる1週間前にファイザー社会長のジョン・スミスは他界しました。しかし、スミスは臨終の床で後継者のジョン・マッキーンに次のようなアドバイスを残しました。「この抗生物質土壌スクリーニングプログラムから何らかの成果があったなら、ぺニシリンのときのように他の企業に譲り渡すようなことをしてはならない。自分たちの製品として販売し、医薬品事業に参入するのだ」。
ファイザー社の経営陣は会議を開き、「市場展開」に合意しました。スミスの遺志を尊重したのです。1950年3月15日にFDAからテラマイシン の許可が下りたとき、特殊トレーニングを受けたファイザー社の8名の医薬品営業担当者が、全米各地の公衆電話でゴーサインが出るのを待ち受けていました。彼らは在庫を卸業者に向けて出荷し、ファイザーブランドの最初の新製品について医師たちを啓蒙するために奔走しました。このような販売・マーケティング組織は先進的といえるもので、後に業界最良の組織との評価を受けることになります。こうして強力な医薬品メーカーが新たに誕生したのです。
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