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ファイザー株式会社 Working together for a healthier world より健康な世界の実現のために
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米国本社の歴史 1951年~1999年

1951 拡大するファイザーのフロンティア

Taking Risks To Meet New Challenges医薬品事業を遺したのがジョン・スミスならば、ジョン・マッキーンとジャック・パワーズは世界企業としてのファイザー社の将来を見通した先見者といえましょう。ファイザー社は1950年代に、数カ国における販売代理店のネットワーク化、世界各地における支店、子会社、そしてパートナーシップの設立を開始しました。画期的な製品ラインを拡大し、ファイザー社はまもなく国際的な大手薬品メーカーに成長しました。このような成功は、今日のファイザー社の推進力となっている不変の資質、つまり、ビジネス・センスと競争力、そして何より、人命を救う製品を世界中の人々に届けようとする確固たる決意からきたものにほかなりません。

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テラマイシン®は家畜や農業用にも有効であることが証明され、台湾をはじめ世界各国で販売。   1962年チリに到着した南米地域責任者ビル・デッカート、ファイザー社社長ジョン・パワーズ、新規海外事業担当ボブ・ミドルブルック。

第二次世界大戦後、アメリカの数多くの医薬品メーカーがペニシリン生産事業に参入し、ファイザー社は自国において不利な市場状況に対峙することになりました。しかし、他のメーカーがファイザー社の製造技術を模倣する一方で、ファイザーの旺盛な競争心は他社にとっては真似難いものであることが証明されました。当時、戦争中にペニシリンが大量に使用されたことによってファイザーの名が高く評価され、また、戦争で荒廃し病気が蔓延した国々で抗生物質が危急に必要とされていました。この様な状況の中で、数名の勇敢な人物が、今こそ積極的な海外事業の拡張を推し進める時期である、と判断したのです。

ジョン・マッキーン社長の補佐(当時)を務めるジョン・"ジャック"・パワーズJr.がその先導に当りました。1950年のある土曜日の長時間にわたる会議でパワーズは、後にファイザー社の海外事業展開に深く関与することになる数名の幹部に向かって、ファイザー国際部門の創設という野心的な計画を説明しました。パワーズは、当時としては膨大な額である「年間海外売上6,000万ドルの達成」をチームに求め、「各国の経済の研究、政府関係者との適切なコンタクトの確立、言語・歴史・慣習の習得、可能な限りの現地採用の実施」を促しました。パワーズの打ち出す方策はこのような簡単明瞭にして、確実に成功に結び付くものでした。

"私は、決してあの頃を忘れることはできません。失敗の経験すら無かったので過去に縛られることがありませんでした。「そんなことは出来っこない」というようなことをいう人は誰もいませんでした。一か八か賭けることができたあの時代は、楽しい思い出になっています。"- ジョンJ.パワーズJr.,

ファイザーの海外支社の増設に伴い、パワーズは世界を4つの地域(ヨーロッパ、西半球、極東、中東)に分け、本社の地域担当役員がそれぞれの地域の運営に当たりました。とはいえ、アルゼンチンからオーストラリア、べルギーからブラジルにまで広がる国々で海外部門の社員が次々にビジネスチャンスを発見するにつれ、実際の活動は本社のあるニューヨークから遠く離れた所で展開されるようになりました。他の企業では現地の運営は細部まで本社の方針に従って行われていますが、ファイザー社の現地企業にはかなりの自主性が認められ、本社の返答を何週間、何ヵ月も待つこともなく重要な決定を直ちに下すことができます。

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1950年代、ファイザー社は海外市場に進出。写真はスペインの県立マドリッド病院を訪問する営業担当者。   ファイザー社は1960年代、分野横断的チームによる研究活動に力を入れ、1日1回の投与で済む最初の広範囲抗生物質ビブラマイシン®を製品化とする新薬が登場。

ファイザー社は当初、国際部門には控えめにしか資本を投入しませんでしたが、同部門は直に、製造事業の拡張資金を賄えるほど十分な採算を上げるようになり、世界各地でファイザー社製品への高まる需要に応えるのに役立つようになりました。ファイザー・インターナショナルは1957年までに6,000万ドルの売上目標を上回り、米国の競合各社を遥かに凌いでトップに立ちました。

国際市場へのコミットメント、そこでの成功は今日まで続いています。1997年には、米国外におけるファイザー社の収入は、同年の社全体の総収益の45%を占める56億ドルの大台に乗り、その製品は150ヵ国以上の市場に出回っています。ファイザーの海外進出は、グローバルな成功を収めたのでした。

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テラマイシン®の登場により、1960年代、ファイザー社のアニマルヘルス製品の成長が推進される。写真は、ベネズエラの農場でテラマイシン®の投与準備をする獣医。   ファイザー社は、ポリオの1型セービン経口ワクチンの販売ライセンスを取得した最初の医薬品メーカー。ファイザー社は1960年代、小児マヒ撲滅のため、各自治体の保健機関と協力して一般向け免疫プログラムの体系化に努める。

1971 研究開発がもたらした発展

Taking Risks To Meet New Challenges20世紀の後半は、医学上の発見において比類ない前進の時代となり、ファイザー社は最先端の医薬品開発を通して大きく貢献しました。革新的なマーケティングと営業チームの活動によってもたらされた収入を背景に、エドムンドT.プラットJr.会長(当時)の指揮下でファイザー社は1970年代、研究分野への長期的投資に傾注しました。この投資は後に報われることになります。

1960年代、70年代とファイザー社は新しい医薬品を続々と開発し、市場へ投入しました。新しい抗生物質に続き、神経痛、糖尿病、躁鬱症、心臓病、細菌感染症などを治療する医薬品が開発されました。マーケテイングと営業の努力によってファイザー社の独創性と革新性に関する定評が確立されました。

1971年、ばらばらだった研究組織を統合して中央研究所を設立しました。1972年に会長兼CEOに就任したエドムンドT.プラットJr.は、医薬品研究部門に注ぐ努力はいずれ報われると確信し、売上の15~20%を研究に充て、研究分野の生産性を業界リーダーに匹敵するレべルにまでに高めました。

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英国サンドイッチの研究所で科学者が使用するハイスループット・スクリーニングは、近年ファイザー社の研究分野での生産性を大幅bに向上させたテクノロジーの一つ。

ファイザー社の研究投資は最終的に報われました。1970年、英国サンドイッチでフルコナゾールの研究が開始されました。これは、後に1990年にジフルカン®としてアメリカに上市されたもので、現在、抗真菌剤として世界で最も多く処方されています。同様に、アムロジピンの研究も1970年代に開始されました。これは1992年にノルバスク®の名でアメリカで上市され、今日、血圧降下剤として世界で最も多く処方されているものです。

こうした成功は、投入された多額の資金を背景とするだけでなく、例えば重点事業を発酵研究から合成有機薬品に路線変更するなどのクリエイティブな研究戦略によるものです。さらに、分野横断的なチーム作りを採用したことで、多彩なアイディアの掘り起こしを促進し、研究の生産性がさらに高まりました。

プラット会長は、ファイザー社の研究部門への投資を推し進めたほか、医療品業界全体が資源を研究開発に重点投資するようになるような政策を求めて活動を展開しました。また、知的財産を保護するための活動に関しても、個人と企業の両レべルで甚大な努力を払いファイザー社の将来のみならず、地球規模で革新と進歩を奨励するためにも特許の保護が極めて重要であることを認識し、プラットは知的財産権の先駆者となりました。

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トロバン®はグロトンで発見・開発され、また製造されている。
1998年の市場調査で、ファイザー社は感染症薬の製品ライセンスを拡張。
  ファイザー・コンシューマー・ヘルスケア・グループは一般市販用ヘルスケア製品の世界的な販売元で、1997年には6種類のベストセラー・ブランドを展開。

長年の個人的リーダーシップ経験と、さらに、カーターおよびレーガン両政権における大統領通商交渉審議会議長としての経験を活かし、プラットは「知的財産を弁護士の一専門分野から世界各国政府にとっての重大な貿易上の関心事に変身させる上に重要な役割を果たした」(ハーバード大学経営管理学部ケーススタディ)のでした。

1992年に同職を退いたとき、プラットがファイザー社に残したものは、卓越した開発製品パイプラインと、医療の将来に関わる政策問題に積極的に関与するという企業姿勢でした。

1971 ハイギアにシフトする研究開発

Taking Risks To Meet New Challengesチャールズ・ファイザーとチャールズ・エアハルトの時代から、研究所は長い道のりを歩んできました。孤独な科学者が原始的な装置を使ってこつこつと作業を進めていた研究所で、今では研究者のチームが、コンピューターによる医薬品の分子のシミュレーションや、ロボティックス、3Dクロマトグラフィーなどの先端技術を駆使して、新薬候補の設計と試験をめざましいスピードで行っています。以前は有望な新薬候補を発見するのに研究者が試行錯誤を繰り返していた同じ場所で、今日では新薬を所定のターゲットに合わせて設計することが可能です。さらに、かつては研究目的は疾患の管理あるいは治療に関するものに限られていましたが、現在、研究者たちは疾患の根底にある遺伝的な要因も究明中です。これは、治癒の新世代を迎え入れる跳躍的ステップと言えましよう。

現在医薬品産業で普及している重要な研究テクニックの一つにファイザー社の研究室で生み出されたものがあります。ファイザー社では、数十年にわたる研究を通し、膨大な数の化学物質が収集されています。とはいうものの、特定の疾患に対する有効性についてこれらの化学物質を通常の方法でスクリーニングしていった場合、文字通り何年もかかってしまうため、これまでファイザー社の研究者がその膨大な収集成果を活用することは不可能でした。

1980年代、ファイザーの研究者は抗ガン剤のスクリーニングをスピードアップするための自動プロセスを開発しました。ハイスループット・スクリーニングと呼ばれるこの新技術は、コンピューターとロボティックス・システムを駆使し、所定ターゲットに対する化学物質の有効性を測定するものです。

今日、ファイザー社のハイスループット・スクリーニング・システムは、ターゲットとなる疾患に対して1 週間に数十万もの化学物質のスクリーニングを実施することが可能で、新製品として開発する有望性のある「掘り出し品」を発見する確率が劇的に上がりました。

1991 革新にフォーカス

Taking Risks To Meet New Challenges1990年代、会長ウィリアムC.スティアJr.の指揮下でファイザー社は最も得意とする分野、すなわち、人々の健康と生命に貢献する革新的な医薬品とペットや家畜のためのアニマルへルス製品の発見、開発、市場展開に重点を置くことにより、「世界で最も賞賛される企業」の一つに成長しました。


Pfizer Animal Health Group

ファイザー・アニマルヘルス・グループは、ますます重要性が高まる世界市場において、家畜やコンパニオン・アニマルの医療ニーズに応えている。

ウィリアムC.スティアJr.は、ファイザー社の歴史を通して社のシンボルであり原動力となってきた「革新」にはっきりと焦点を当てることが将来の成功をもたらす鍵であるとの固い信念を持って、1990年代初頭からファイザー社の指揮を取り始めました。医療分野の革新に経営陣が打ち込むためには事業戦略に合致しない部門にまで力を注ぐことはできないということから、最終的には、かつて成功の中核をなしたクエン酸部門をはじめとして15の事業部門が売却されました。同時に、事業計画に合致する分野に重点投資を行いました。その一環として、1995年のスミスクライン・ビーチャム社のアニマルへルス事業買収が挙げられます。これはファイザー社創設以来最大の買収で、ペットや家畜向けの革新的医薬品の分野でも最大手だろうとするファイザー社の決意を再確認するものといえましよう。

ファイザー社はスティアの指揮下で、経営の焦点を揺るがしかねない業界の動向に頑固に抵抗しました。ビジネス・ウィーク誌は1998年の記事の中で「ファイザー社でのスティアのリーダシップは、主として最近の一時的な流行に惑わされないことで基盤が築かれてきた。1980年代から90年代初期にかけて多数の大手医薬品メーカーが合併に明け暮れていたとき、スティアは傍観の姿勢をとった。一方、スティアは何十億ドルもの資金を新薬開発とファイザー社の営業パワーの拡充に注ぎ続けた。この投資で、同社の収益は何年間も低迷状態を続け、業界アナリストの冷笑を買った」と記しています。

研究開発分野においては、ファイザー社は医学を前進させるような革新的医薬品の発見と開発に重点を置き、開発した新製品がクラス最初で最高のものとなることを目指しました。この戦略によって、短期間に各治療分野でトップを占める新薬が生まれ、かつて批判を受けた研究への重点投資姿勢が逆転してファイザーに勝利をもたらしたのです。

ファイザー社の最も新しい画期的製品シルデナフィル(米国での製品名は「バイアグラ」)は、クォリティー・オブ・ライフの面で深刻な影響をもたらすED(勃起不全)に悩む男性(世界中で1億人と推定)に希望を与えるものです。バイアグラの発売はアメリカの医薬品の歴史の中で最も大きな成功を収め、市場に出回ってから最初の数週間での発行処方箋枚数は、記録的なものでした。

"フオーチュン500企業の中で最も豊高な プロダクト・ラインを抱え、ファイザー社は今も躍進が期待される。"フォーチュン誌 1998年5月11日号

research employee

ファイザー社では6,000名以上の中央研究所員が世界各地で活躍。彼らの努力は業界最高水準のプロダクト・パイプラインとなって実を結んでいる。

研究開発以外にも前進が見られました。その中で最も重要なのは、過去50年間に、強力な中核事業を有する多国籍大手企業として進化を遂げてきたことです。世界の各地で根差したー連の小規模な活動が、偶然ではなく、財務、法務、マーケティング、営業、製造、広報渉外、その他の分野で戦略的に融合することによって、ダイナミックで統合された一つの組織に成長し、グローバル・ビジネスを形成するに至ったのです。

世界各地に強力な影響力を擁する多国籍企業として、今日ファイザー社を好ましいパートナーとして選択する企業がますます増えつつあります。我が社は近年、リーダーとしての地位をさらに強化するため、戦略的提携、パートナーシップ、ライセンス契約を成立させてきました。このような提携を通し、業界で先進的、革新的と認められているファイザー社の営業・マーケテイング組織は、他社が開発した画期的製品の市場導入に参画するようになりました。また、研究面でのパートナーシップは発見および開発プロセスに新たな活力を吹き込んでい ます。

新製品がファイザーの研究所で生まれたか否かにかかわらず、それらはすべて、2001年までに世界第一位の医薬品企業となるという当社の目標の達成に寄与します。今日ファイザー社は、伸長する売上、卓越した財務状況、そして、これまでの当社の歴史の中でも比を見ない充実したプロダクト・パイプラインに支えられて、限りない展望が広がっています。

U.S. field sales force

ファイザー社の米国営業部隊の一つ、プラット・ファーマシューティカルズのチームは、業界および医師を対象としたアンケートで常にトップにランク付けされる。

1999 生命を守るのが私たちの使命です。

Life is Our Life's Work最初の革新から今日の画期的製品群まで...ファイザー社の150年の歴史は、大きな進歩を遂げるためには果敢にリスクを冒す、そんなパイオニアたちが牽引力となって作ってきました。海を渡って新会社を設立し、個人資産を投げ打って世界初の抗生物質を生産しようとし、また、医療の可能性を自ら切り開くために数十年に及ぶ研究に資源を注ぎ込んだりと、ファイザー社のパイオニア精神は常に医学のフロンティアに向けられていました。

"来たる21世紀には、我が社は人間の幕らしを他のどの企業も成しえなかったほど大きく変えることができるでしよう。大きなチャンスであるとともに、重大な責任でもあります。このような信頼を寄せられるのはファイザーの社員以外には考えられません。"会長兼CEOウイリアムC.スティアJr.

ファイザー社は今日、不安、神経痛、喘息、ガン、糖尿病、感染症、片頭痛、肥満、骨粗鬆症、痛み、卒中を始めとする、広範囲かつ、困難な医療分野で、研究開発に年間ほぼ25億ドルもの資金を投入しています。科学者から製造部門の作業員まで、あるいはニューヨークの本社から近頃開設されたばかりのイスラエル、ウズベキスタン、べトナムの営業所まで、ファイザー社の社員はユニークで誇り高い伝統に支えられて毎日の仕事に勤しみ、人々や動物たちが健康でよりよい暮らしを送れるよう努力を重ねているのです。

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